日体大健康学科卒(ダンス部)卒業時、「踊りでは食べて(生活して)いけない」と言われ、千葉県教員採用に運よく受かり市内小学校に非常勤で勤務。しかしダンスが諦められず週1回通う内、結局退職・転向。コンテンポラリーダンスカンパニー(C.D.C.)団員となり研究生の指導・振付を行いながら作品創り。海外公演・オペラ等に出演・振付等の経験。その18年間に何度の無く「私のダンスって何?」悩み退団を考え、そして、外の世界を見ようと1997〜98年渡仏。そこでの体験・出会いが「井の中の蛙」という言葉を通り、「芸術・人種・考え方・身体・自然、色々な事」が私に大きな影響を与えた。特にダンス対する考え、大げさに言えば「生き方」までも変えたきっかけは、コンタクトインプロヴィゼーションCI(年齢、性別に関係無く制約から解放されエネルギーの流れに乗って身体を自由に動かし会話しているようなコミュニケーション即興ダンス)の出会いで、CI25周年フェスティバル(24時間)に参加した体験です。初めての路上パフォーマンス(アビニヨンフェステイバル)、舞台美術とのコラボ&即興音楽家と即興パフォーマンスを実現させた。
1998年3月に帰国後、人生の転機「母の介護」に関わり、今できるダンスをしよう!決心がつき2000年退団。自主活動をスタート。ギャラリー・スタジオ・ホール等で、(Voice・音楽家・映像・マイマ−)多種ジャンルとパフォーマンスを展開し始めた。
その頃、日野社教勤務の佐藤さん(日体大ダンス部同期)から劇団「ひの」を紹介され、「谷間の女たち」の振付。演出佐藤さん・出演者たちに、なかなか自分の思いが伝えられず、残念な結果になりました。(後ろ向いたら駄目・座ったらお客から見えない・水に手を入れる感覚を持ってといっても振りが運動になってしまう。)
これで終わりと思いながらも、何故か、日野に足を運び、あっという間の9年目になります。
ここまで来ると、私の我儘も少しは通り、コミュニケーションが(お互いの意図が巧く伝わる)取れるようになって来たかな〜と。
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