「青い鳥」は みんなの夢
    演出/さとう としかつ

     どんな作品を上演するのか、いつも悩みます。こんどの作品を選んだのは昨年の暮れでした。21世紀の幕開けにふさわしい作品がないかと選定に苦慮していました。そんな折、私たちを魅了したのがこの作品です。普遍的で根源的なテーマである「幸福」を題材にしており、明るく希望のある物語に惹かれました。
     「青い鳥」を知らない人は稀ではないでしょうか。どこで、いつ、どのようにして知ったのか不思議なくらいですが・・・それほど馴染みのある作品だと思います。しかし、絵本や児童向けの書物に触れたことはあっても、原作を読んだ方は意外と少ないのではないでしょうか。私も今度の機会にめぐり合うまで読んだことがありませんでした。約100年前に書かれた作品とは思えないくらい、奇抜な発想や斬新な着想に溢れています。原作は本格的な戯曲で、人生の哲学を素朴に語りかけています。子供が読む書物としては、長く難解かもしれません。きっと作者のメーテルリンクも特に子供向けに考えたのではないと思いますが、多分に童話的要素があり、子ども大人をとわず読者を引きつける魅力をもっています。
     一般的には「幸せは、遠くにあるのではなく、自分たちの身の回りに溢れている。私たちは、そのことに気づかないんだ」と、言うことを教示してくれるお話だと説かれています。「青い鳥」は、幸福のシンボルです。無論そのことを否定する気はないのですが、私は脚色・演出にあたり、もう一つ別の視点からこの作品に挑みました。それは、はじめてこの本を読んだときに感じたことです。硬い言葉を使うと「価値の再発見」ということになります。
     魔法使いの老婆からもらったダイヤモンドを回すと、これまで見えなかったものが見えてくるのです。老婆は「人間って不幸だよ。本当のものが、なんにも見えやしない」と、語ります。パンや砂糖などの食べ物、犬・ネコなどの動物、木や草などの植物、水や光などの元素までが妖精となって目の前に出現し、人間と会話ができるようになります。また、ダイヤモンドを回す事により冒険ができるのです。青い鳥をさがして、夜の御殿(闇の世界)・思い出の国(過去の世界)・森(自然の世界)・幸福の国(幸福たちの世界)・未来の国(生命の世界)などに出かけます。驚くのは、戦争の恐怖・人間の自然破壊・快楽の追求など、今日の社会問題も鋭くついてあることです。チルチルとミチルは色んな人物や色んな出来事に遭遇し、一つ一つの体験によって成長し自分の世界を広げていきます。いたわる心や慈しむ心、物事の本質を見極める目を養われるのです。私は、それらの過程を「価値の再発見」と感じたのです。
     メーテルリンクの人生観がもっとも色濃く現れているのは、「未来の国」のエピソードです。その世界では、生まれる前の子どもたちが生まれる日を待っています。どの子供も、地球への贈り物を持っていくという設定がされた素敵な場面です。地上に生まれる時には、新しく発明したものや、罪や病気でも何か一つはお土産を持っていかなければならない事になっているのです。人間一人一人の価値をこれほどまでに分かりやすく明確に歌い上げた創造力には驚かされます。今回はその子供たち(青い子供)の役を「浅川少年少女合唱団」(小1から中2、16人)の子供たちと、「青い鳥」の公演に出演を希望して参加してきた4人の子供たちが演じてくれます。
     IT革命が叫ばれ、情報化社会へ加速する現代。ややもすると人間性が置き去りにされそうです。こんな時代だからこそ、人を見る目、物や生き物や地球を感じる心・・・そんな事の一つ一つを大切にできるようになれることを願っています。もちろん、私たちの日常には魔法のダイヤモンドなどありません。今回のお芝居が、ダイヤモンドのように光輝いて、皆さんの心を揺さぶり、皆さんの青い鳥が発見できたらいいなと思ってけいこに励んでいます。
     「青い鳥」をはじめて上演した演出家スタニスラフスキーの言葉を紹介します。私も同じ思いを抱きました。

     「もし人間が常に愛することができ、理解することができ、自然を喜ぶことができたならば、もし人間がもっと度々思考したならば、もし人間が世界の神秘に思いをひそめ、そして永遠について考えたならば、その時おそらく青い鳥は、わらわれの間を自由に飛ぶでありましょう」

     社会教育センターでバレエのレッスンを受けている「中村バレエ教室」の子供たち10人が、小さい幸福たちの役で出演してくれることになりました。総勢45人のメンバーが、歌・ダンスを交えて表現します。
     劇団「ひの」が描く「青い鳥」を、乞うご期待下さい!


 モーリス・メーテルリンクについて
     1862年ベルギーのガン市に生まれる。家は14世紀以来フランドルの地に住みついた由緒ある名家。ガン大学で法律を学び、弁護士になるが、芸術にあこがれ、詩をかきはじめる。
     1886年、文学修行のためパリに出る。当時のフランス文壇は自然主義の文学がいき詰まり、人間の心の奥にひそむ心理、夢や本能を探ろうとする象徴主義の文学がさかんになりつつあり、メーテルリンクもその影響を強くうける。しかし、家庭の事情で数ヶ月の滞在の後帰郷。
     1889年に処女詩集として「温室」を出版し、ベルギーの詩壇に詩人として登場する。同年、処女戯曲「マレーヌ姫」を発表し、批評家の激賞をあびる。さらに戯曲「群盲」「タンタジールの死」などを発表。死の不安おそれにおびえ、運命の神秘さを象徴風に表した作品で、劇作家として一流の座にのぼる。
     1895年、「怪盗ルパン」の作者ルブランの妹ジョルジュット・ルブランを知る。1897年、パリに移住。ジョルジュットの助言によって、しだいに暗い死と運命の神秘からぬけだして、生きるよろこびを求め、光明の世界へ手を差しのべるようになる。「青い鳥」は、この闇から光へうつる時期に書かれた。
     「青い鳥」は、1908年、有名な演出家スタニスラフスキーによって、モスクワ芸術座で初演され、大成功をおさめて世界的に有名になり、翌年出版された。「青い鳥」は、メーテルリンクの戯曲のなかでも傑作の一つに数えられている。日本では、1920年(大正9年)に民衆座が初演。1922年(大正11年)舞台協会公演、1925年(大正14年)築地小劇場公演と上演される。
     メーテルリンクはかずかずの戯曲を書き、その戯曲はたびたび上演された。フランスの作家オクターヴ・ミルボーは「ベルギーのシェイクスピア」と評した。音楽における象徴主義者といわれたドビッシーが、彼の戯曲に心惹かれて『ペレアスとメリザンド』をオペラにしたことは有名な話。日本の新劇界にも、イプセンやストリンドベリなどとともに新生な息吹を送りこんだ。現在の状況をみると今昔の感をいだかざるをえないが、『ゴドーを待ちながら』や映画『去年マリエンバードで』などの元祖をメーテルリンクの芝居のなかに見出す批評家もあり、いまなお彼が後の時代にとっては汲みつくせぬ泉であることに変わりはない。

     メーテルリンクはまた、『蜜蜂の生活』『花の知恵』『蟻の生活』などのすぐれたエッセイを書いた。1911年、ノーベル文学賞を受ける。
     第二次世界大戦では、ナチスの迫害をのがれて、アメリカに渡り、戦後、フランスに戻って、1949年、86才で他界。
    参考:「青い鳥」<岩波少年文庫・講談社文庫・新潮文庫>、「白蟻の生活」

    「青い鳥」という題名の由来についてはいろいろな説がありますが、結局、メーテルリンクが若い頃から愛読していてその強い影響を受けたドイツの詩人ノヴァーリス(1772~1801)の未完の小説『青い花』から思いついたものだろうというのが定説です。この小説の第一部では、主人公のハインリッヒは夢に見た青い花を求めて旅に出、さまざまな喜びや悲しみの経験をして人間的に成長して行きます。そして、未完に終わっている第二部になりますと、舞台は現実をはなれて詩の国の出来事となり、主人公は幻想的な童話の世界にはいっていくのです。もちろん物語の性格は「青い鳥」とは全然ちがっていますが、メーテルリンクが題名についてこの『青い花』から暗示を受けたであろうことはたやすく推察されます。ちなみに、青は空の色や海の色で、人間があこがれている「はるかなもの」「かぎりないもの」の感じをあらわしているのです。(講談社版あとがき・新庄嘉章)