清水邦夫氏の作品は、87年に仮けいこ場で「薔薇十字団渋谷組」、96年に現在のけいこ場で「ラブレター」を上演。「火のようにさみしい姉がいて」は、3作目です。
この長い詩的なタイトルは、魅力的で同時に謎めいています。松島東洋氏の「水と水」という詩の一節だそうです。
清水氏の作品には、詩や芝居の台詞からの引用が数多くあります。その為か、全体が一編の詩のような味わいをもっています。
「劇談」という本の中で、「詩の文句ってのは、何かを刺激するけれども実態がよくわからないところがある。それに惹かれる。」と、語っています。
「なるほど」と、うなずける表現だと思いました。
さて、物語ですが・・・心疲れた中年の俳優夫婦が、その痛手を癒そうとして、夫のふるさとに帰郷します。
たまたま立ち寄った理髪店・・・郷里の入り口に過ぎなかったはずが、「虚構」と「真実」が入り乱れた迷宮のような、あいまいな空間に迷い込みます。
20年ぶりという時の流れの中・・・鏡の奥から浮かぶ幻影、オセローの劇中劇、毒消し売りの老婆たちのエピソードなどが重層的に入り乱れながら、ゲームのように謎が次々と仕掛けられ、徐々に真実がさらけだされていくのです。
偶然ですが、今年8月に上演した「夏の夜の夢」に続くシェークスピア作品への取組みです。
というのも、オセローの物語がこの作品の展開と連関しているからです。
「夏の夜の夢」といったら荒唐無稽(ファンタジー)な喜劇。オセローは、それとは一転して、極めて現実的な悲劇です。
オセローへの忠実を装ったイヤーゴ。彼が語る「虚構」(嘘)の物語の中へ、巧みに飲み込まれていき、貞淑で美しい妻のデズデモーナを殺害、すべてが誤りだったと悟ったオセローは自害します。
その悲劇を通じて、人生への示唆を私達に投げかけてきます。
オセローの物語と「姉」がどのように絡むのかお楽しみにして下さい。
先ほど記述した「劇談」の中で清水氏は、「ドラマは結果として詩的なポエティックなものにしたいという気持ちがある」。また、「戯曲は渦を巻いていかなくちゃいけない、回転する中でなにかが進行していかないと、うまく芝居が立ち上がってこないし、詩的な世界も出てこないんじゃないかと思う」。さらに、「モチーフというか、テーマを決めないで書くタイプ。逆に見る側が自分のものを投影して見ることができる」と語っています。
「姉」は、まさにそれらの思いを反映した作品といえます。
地方の理髪店が舞台。あやしい空間、風変わりなドラマの展開。最近上演した「見果てぬ夢」や「煙が目にしみる」とは、まるっきり違うドラマです。
ある意味、実験的な試みでもあります。
この迷宮のような作品の世界で、何を感じていただけるでしょか。
どの俳優もあらたな役へのチャレンジです。みんなで、面白さを引き出そうと熱く創意工夫しています。
BARBER「ひの」に様変わりしたけいこ場の空間に、是非足を運んでください。
皆様のご来店、いやご来場を心よりお待ちしています。