水上 勉 『ブンナよ、木からおりてこい』の原作者
水上勉氏は、1919年福井県の生まれ。
十歳の時に京都へ出て禅寺にて修行する。
(実家は貧しかったらしく、「口べらしだったのだろう」と著書の中でのべている。)結核を患い、懲役検査は「丙種合格」で、「国辱的な軟弱青年」とみなされ、父親は「村人に顔向けできない。」といっていたという。
1944年、軍隊に召集され、軍隊の階級の最底辺である兵科に属し、辛苦をなめる。(当時の体験を作品にしたのが、’72年の『兵卒の鬣』。これは吉川英治文学賞を受賞している。)
 戦後、宇野浩二に師事し、作家を志す。’59年『霧と影』を発表し、本格的な作家活動に入る。’61年『雁の寺』で直木賞、’71年『宇野浩二伝』で菊地寛賞、’75年『一休』で谷崎賞、’77年『寺泊』で川端賞を受賞する。多数の著書があるが、水上氏の作品に共通するのは、社会を弱者の側から、または社会の底辺の立場からみる視点である。様々な社会問題を扱った作品も多い。水上氏の生きてきた足跡がその背景にあるだろう。また、障害を持つ子とともに暮らしてきた経験も作品に影響を与えているかもしれない。生きとし生けるものへのやさしいまなざしが読む者の心を打つ。
 水上氏は、様々な職業を経験しているが、終戦の前後は福井県の国民学校で教員をしていたことがある。童話が大好きだった氏は、子供たちに自作の童話を話して聞かせたという。『ブンナよ、木からおりてこい』も母親が子供に聞かせてやれるような物語として書かれたそうである。『ブンナよ、木からおりてこい』(新潮文庫)のあとがきのなかで、水上氏は次のように述べている。「私は、この作品を書くことで、母親や子供とともに、この世の平和や戦争のことを考えみたかった。それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでいくことの裏側で、とりこぼしてゆく大切なことについても、いっしょに考えてみようとおもった。」
 この水上氏の問題意識は、現代の社会のなかで、一層切実なものとしてとらえることができよう。劇団青年座が脚色し、舞台化した『ブンナ・・・』は1975年ころより全国を巡回し、大きな反響をよび、芸術祭優秀賞、厚生省児童福祉文化賞などを受賞した。
そして、今回劇団ひのが創りあげる『ブンナ・・』も、観る人の心を揺さぶり、生きる力を呼び起こすものになることを願って日々の稽古を重ねている。
(参考:新潮文庫「ブンナよ木からおりてこい」あとがきより   文責:佐藤伸枝)