第74回公演
二十四の瞳
名場面集

〜公演を終えて…〜

[お客様の言葉]
公演を終えて…  
  大石先生役:朝比奈生美さん
「涙の果てに」

三幕一場、ぜんざいを腹いっぱい食べる事に心をとらえられ、わずか6歳で航空兵を志願する、息子大吉に母は言う。


〜 なあ、大吉。お母さんはやっぱり大吉にただの人間になってもらいたいと思うな 〜


大石久子は決して特別な人間では無い。特定の理念の啓蒙家でも無い。
何事にも本音で向き合い、嫌な事は嫌だと考えて自らの道を選択する、ただの人間である。一貫していたのは、12人の生徒の事を絶えず考えたと云う事。それが果てしない愛情と優しさに満ちていたと云う事。説明はしないけれど、その姿で自分を周囲に理解させる人なのだ。物語の中では18年の年月が流れ、戦争という不可抗力に圧されながら、避け固い苦悩に対面する教え子達を見て、教師を続けるよりも、自分という人間と等身大になって生きる事を選択した彼女が言う、この言葉は、リアルそのものだ。悲しみを重ねた大石は、劇中で、何度も泣いた。沢山沢山、何度も泣いた。戦争を生み出した国家体制に、愛する人々を次々と奪われ、終戦後に続く飢餓状況で娘迄失った大石は、輝かしい理想主義で、人は蘇生しない、人の死は償えるものでは無いという事を、泣く事で物語る。泣きみそ先生と呼ばれながら、「もう泣きたくない」と泣いたのだ。

・・・・マンハッタン計画、核施設、体内被曝、放射能兵器、劣化ウラン、隔世遺伝・・・・現在も続く戦争と、戦後60年とは名ばかりに、それに加担する日本。激動する世の中のニュースには、共鳴したり、感動したり、目を逸らしたくなったりと色々だが、日常で感じた感覚を、逃がさず、暖め、膨らます事がいかに重要か。今回、大石久子と対話し続けた三ヶ月は、自分という人間を稽古する三ヶ月だった様に思う。ただの人間で在る事を、選択するのでは無く、ただの人間で在る事が、本当に当たり前となる世の中になる事を願い、涙の果てに掴んだ意見を、生きる意見にして行きたい。
「ありがとう」

昨年4月位だっただろうか。演出の佐藤さんから「大石先生を演って欲しいのよ」と、何故かお姉言葉で言われ、何でお姉言葉だった事迄覚えているかと言うと、衝撃的発表だったからなんですけどね。

佐藤さんという人は、そういう衝撃的発表を実にさらっと突然に言う事がごく稀にある。そして、その発表にどれだけ、聞き手が度肝を抜くかなんて事はあまり考えていなさそうだ。その日は、確か「動物会議」の稽古後か何かで、劇団員数人と呑んでいる時だった。結構度数の高い焼酎を呑んでいたが、すっかり素面になったのを覚えている。あの日の「はい!?」という衝撃から、千秋楽の「ありがとうございました」になる迄には、色々な苦労があった。躊躇せず、見世物にする為の努力に+αのしんどさ、芝居を作る上で発生するどんな役割にでも、かけるエナジーは同じだ。そんな創造性を鍛える試練をこよなく愛する人が、「表現」というものに携わり続けているんだと思う。「二十四の瞳」は、そんな素敵な、キャストとスタッフの力で、素晴らしい舞台に仕上がり、大盛況に終わった。満席御礼と鳴り響く拍手、どれをとってもやり甲斐のある舞台だった事は間違い無い。

しかし、打ち上げで、子役陣の1人が「僕は、この劇に出て、戦争は絶対いけないことだと思いました」と話した。彼のこの一言の為だけでもいい、このしんどい作業を諦めないで良かったと、誰もが感じているのが分かった。「二十四の瞳」に関わった全ての力が、この結果を生み、その成果は、彼の発言に集約されていた様に思う。私も初舞台はわずか7歳だった。わずか7歳の時に、言った初めての台詞は、今でもはっきり覚えている。そして大袈裟かもしれないが、あの時、小さな胸で知った達成と喜びが、今、何をする時をもの勇気と自信になっている。今回、初舞台を踏んだ子供達が、あの時代の子供を生き、何かを学んだのなら、それは紛れも無く、子供達の煌く感性そのものの力だ。自分が大人になり、その事に参加している事が嬉しい。それは私が芝居を続けて来た意味だとすら思う、そんな風に思う。そんな風に思っている事を幸福に感じる。だから、心からありがとう。


2006年1月16日/朝比奈生美