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明日へ、明日へ 〜不幸は幸せの背中合わせにあるという事を知るが良い。わかったかな?〜

演出助手/朝比奈生美
一幕一場、和尚さんの説教である。
不幸が幸せの背中合わせにあるように、強さと弱さもまた背中合わせだ。と、桜井氏扮する和尚さんのこの台詞を聞くたびに、こう思う私は、やはりまだまだ未熟者なのだろう。
先へ先へ行き急ぎ、小賢しく近道をする。後ろへ後ろへと前方の事故を恐れ、見上げようともせずに、下に下に留まる。
右往左往し、転んだりして、雨だったりすれば、水溜りに浮かぶのは等身大の自分。
何て事はない。生きる事のしんどさを、学び、だけど、しんどさと同じぐらいの素晴らしさを知れば、私たちはまた進む事が出来る。 そんな風を考えれば、私たち人間は絶対的に恵まれた強者だ。
 「ブンナよ、木からおりてこい」の世界では、弱者にあたる動物たちが、逃れられない不可抗力のなかで、それぞれの人生を省み、やがて死を迎えるまでのドラマが繰り広げられるわけだが、彼ら、彼女らの抱えて歩いた、その姿が生み出す物語は、人間のそれ以上に、ありったけの真実だ。
ブンナが憧れの木の上で目の当たりにした光景には、今まさに、人間が忘れてかけていた必死さが映し出されているのではないだろうか。
稽古の過程で、この芝居を創造するにあたり、ブンナと共に成長し、自分自身を稽古している俳優達を見てきた。
小さき者が叫ぶ「生きたい」に、何かを感じ、励まされては、自分を奮い立たせる人間たちがそこにはいた。
昨日よりも今日を、今日よりも・・・と。
激動する世界で、何が敵かも分からない今日。
死を最後の敵といわんばかりに、それを取り違え、英雄の様に殺人を犯す痛ましい事件があとを絶たない。
こんな事では、自然界の動物たちに笑われてしまおう。叱られてしまおう。舞台上では、明日へ進むというこの単純作業が、いかに幸せかを、死に行く者たちが訴えているように見える。
それは、この者たちの最後の生きざま。今日を生きたかった、昨日亡くなった者の思いなのだ。
死はいずれ誰にでも訪れるだろう。しかし決して待ち構えてはいない。
人間は「生きる」という最も強い人権を持っているのだ。
「ブンナよ、木からおりてこい」は、人々にそんな思いを呼び覚まさせる命の讃歌だと思う。その事を大切に守り、私も行きたい。
今日を生きられる喜びをかみしめ、生命として、明日へ。
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