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今月のクローズアップ
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[2008年1月]
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高橋由美さん

 劇団「ひの」に入ったのは中学2年生の文化祭のあと。演劇部だった私は劇団「ひの」の子役を経験した先輩からメイクやお芝居の考え方を教えて頂きました。そして子役として劇団「ひの」に入る事ができる事も知りました。

 初めて劇団「ひの」の扉をたたいた時、当時の劇団にはけいこ場がなく、公民館や社会教育センター、時には地区センターなどでけいこを重ねていました。ドキドキしながら公民館の扉を開け、真剣な面持ちの先輩方に一斉に凝視された時、とても怖かったのを覚えています。ところが先輩方はその時の第一印象とはほど遠く、とても優しくいろいろ教えてくださり、可愛がって頂きました。今になって思えば、けいこへ向かう先輩方の意気込みが、ある種の緊張感を生んでいたのですが、子ども相手の場所しか知らなかった私には社会に出る第一歩として、とても勇気のいる一歩となりました。

 

 それまでの習い事といえばピアノくらいで、それも高額なピアノを買ってもらった事から、「親が納得するまで習い続ける」という対価の支払いが満了するまで、いやいや続けていたくらいで、親から言われていた通り、「私は飽きっぽいのだ」と思い込んでいました。ところが子どもの頃から家に居着かず、友達の家でその家の子を決め込んでちゃっかり夕飯までごちそうになっていた私には、劇団「ひの」が家族であり、故郷となるのにそう時間はかかりませんでした。

 また、塾やおけいこ事などと違い、学校の成績や高価な楽器も必要もなく、日常とはどこか異世界な空気と、一人一人の個性と自主性が試される「お芝居」は、私に飽きる間さえ作らせなかったようです。(おかげで私の「飽きっぽい」疑惑は本人と両親から払拭されました。)

 

 ここまで劇団「ひの」との出会いを書いてきましたが、現けいこ場が間もなくその役割を終え、新しく生まれ変わるため壊されます。

 その場所で、私は沢山の仲間と知り合い、語り合いました。そして親よりも、学校や会社の友人よりも長く一緒に過ごしました。時には間違っている事を指摘され、恥をかく時も、公演成功の喜びを分かち合うのも一緒。まるで兄弟姉妹のように育ちあいました。今は仕事柄、役者としては出演していませんが、今も私の妹、弟たちがもっと小さい妹、弟と共に育っています。そして行くと必ず兄、姉達が変わらない笑顔で迎えてくれる…。

 そんな劇団「ひの」に親孝行(故郷孝行?)するつもりで『けいこ場建設協力会』と『劇団「ひの」応援団さくらぐみ』に関わっています。現けいこ場の建替えにあたり、思い出の染み付いた現けいこ場が壊される事に少々の寂しさを感じながら、新しく生まれ変わるけいこ場を楽しみにしています。

高橋由美