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[2011年9月]
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表 美子さん
演劇と私

思い起こすと、生まれてはじめて演劇を観たのは、中1の頃、たぶん、長塚節の「土」。

もし、中学校に演劇部があったら、迷わず入ったろうけど、私が見たのは、廃部になった部室でした。
高校1年の時は、放送部でしたが、2年になり、演劇部へ。
なんと、青年劇場から脚本をいただいて、「海をみていたジョニー」(五木寛之原作)をやりました。
当時の演劇部の同級生は、女子3人に男子5人で、ジャズも聴き、ずいぶん背伸びした劇をやったものです。3年生になると、受験モードで手伝い程度にしかできませんでしたが、この時の演目は、「ぼくらは生まれかわった木の葉のように」(清水邦夫作)でした。
ほんとうに青春していたなあと思います。

その後、大学に入り、生物を専攻し、教員をめざし、演劇からは遠ざかりました。
(演劇鑑賞会に入って毎月演劇鑑賞はしていましたが)専門以外にもいろんなことをやり、とても演劇をやる余裕はありませんでした。

そんな私の二度目の演劇の出会いは、就職したときでした。大阪の劇団未来の研究生になりました。仕事を終えて劇団に行って稽古し、卒業公演もしました。
ハードでしたが、劇団にいって練習したあとは、逆に疲れもとれるようでした。

劇団員になってからは、「手紙」(瓜生正美作)などにでました。そうこうしているうちに子どももでき、2年ほどで休団。大阪から仙台に引っ越すことにもなり、もう芝居をすることはないだろうと思っていました。

仙台での5年半は、子育てで一番充実した日々で、ワイルドに遊ぶことを覚えました。長男が通った幼児村の影響で泥遊び、木登り、陶芸、木工、などいろいろやりました。
キャンプに登山、スキー、まさに遊びの達人に。竹を切り出し、竹ひごをつくり、弓矢を作りました。
雪がふれば、ゲームセンターの乗り物のような大きな新幹線や恐竜をつくったり…(そういえば子ども劇場で年4回子どもと一緒に演劇みてました)

東京にひっこしてもその生活は続きました。
なにしろ住まいはあきる野です。川で岩からジャンプしたり、魚と一緒に泳げます!忍者ごっこにもはまりました。とうとう忍者衣装を2枚も作りました。
子どもの遊びと同じくして私も草木染めをやったり、つるでかご作りをやったり、科学あそびの会も3年くらいやったでしょうか。

そんな子どもたちもずいぶん大きくなり、遊んではくれなくなりました!

もう、私自身のことをやるべき…?と思い、長い専業主婦生活(17年)から飛び出し、中学校の理科の講師と同時に劇団ひのに入ってしまいました。

今年、3年目になりますが、なんとか無事つづいています。

人生自分のものですから、やっぱり、やりたいことをやれるときにやったほうがいいですよね、
わたしの大好きな言葉です。

*草萌ゆる誰に遠慮がいるものか(頑石)

*だれだって迷い込んで生まれてくるのだ。(略)迷い込み、迷い続けて、一生を終えるのだ。それなら、好きな場所で迷っていたほうがいい(「ドローセルマイヤーの人形劇場」齋藤洋著より)

2011年8月朝日岳に登る 
2011年8月朝日岳に登る