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[2011年9月] |
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思い起こすと、生まれてはじめて演劇を観たのは、中1の頃、たぶん、長塚節の「土」。 もし、中学校に演劇部があったら、迷わず入ったろうけど、私が見たのは、廃部になった部室でした。
その後、大学に入り、生物を専攻し、教員をめざし、演劇からは遠ざかりました。
そんな私の二度目の演劇の出会いは、就職したときでした。大阪の劇団未来の研究生になりました。仕事を終えて劇団に行って稽古し、卒業公演もしました。 劇団員になってからは、「手紙」(瓜生正美作)などにでました。そうこうしているうちに子どももでき、2年ほどで休団。大阪から仙台に引っ越すことにもなり、もう芝居をすることはないだろうと思っていました。
仙台での5年半は、子育てで一番充実した日々で、ワイルドに遊ぶことを覚えました。長男が通った幼児村の影響で泥遊び、木登り、陶芸、木工、などいろいろやりました。
東京にひっこしてもその生活は続きました。 そんな子どもたちもずいぶん大きくなり、遊んではくれなくなりました! もう、私自身のことをやるべき…?と思い、長い専業主婦生活(17年)から飛び出し、中学校の理科の講師と同時に劇団ひのに入ってしまいました。 今年、3年目になりますが、なんとか無事つづいています。
人生自分のものですから、やっぱり、やりたいことをやれるときにやったほうがいいですよね、 *草萌ゆる誰に遠慮がいるものか(頑石) *だれだって迷い込んで生まれてくるのだ。(略)迷い込み、迷い続けて、一生を終えるのだ。それなら、好きな場所で迷っていたほうがいい(「ドローセルマイヤーの人形劇場」齋藤洋著より) |
![]() 2011年8月朝日岳に登る |