「かしら」のひとりごと
昨日までわしは一人ぼっちの盗人だったが、今日からは弟子を使って盗みをはたらく「かしら」になったのさ。弟子には「おかしら」とは呼ばせないよ。「おかしら」だと何だか魚のあたまのようになってしまうからな(笑)。
盗人の心得かぞえ唄を弟子たちに教えているところさ。心得の一つめは「人のものは俺のもの」といって、人のものはこっそり頂いてしまおうというのが盗人の仕事だ。
ところが、弟子たちといったら、ちっともそこのところが分かっていない。今日からこの「花のき村」でひと仕事しようってのに、みんな盗みの仕事をすっかり忘れて、間抜けな約束をしてきたり、ぼーっとしたまま帰ってきたりで、全く話にならん。
しかしだ、そういう自分も何だが、村の子どもたちと遊んでいるとすっかり子どもらの無邪気な調子に乗っかってしまったりで、どうにもこの村ののんびりとして優しい雰囲気に巻き込まれてしまいそうなのだ。
そうこうしているうちに、わしのところへ一人の男の子が現れて、わしに頼み事をしたまま去っていってしまった。もう遅くなるというのにその子はちっとも帰ってこない。なんとも不思議な子だったなあと思っているうちに涙があふれてきて何だかおかしな気持ちになってきたのだよ。
どんな気持ちかって? それは、言葉ではうまく説明できないのだけれど・・・。
はい、ここから先を知りたい人はどうしますか? ネットでちゃちゃっとあらすじを調べて分かった気になったりするようなことをしてはいけません(笑)
みんなには、わしらのお芝居を観に来て、ぜひ自分の目で確かめてほしい。
わしがどんな気持ちになったかって事を。
そして感じてほしい。
人にとって本当に大切なものは何かということを・・・。
カンパのお礼と「花のき村」へのお誘い
昨年12月に上演した「太陽の子」の公演の時に、けいこ場改造(事務所側の戸口の高さを上げる工事、南側倉庫用の「すのこ」作り替え工事)と、エアコンの増設のためのカンパを訴えさせて頂きました。
おかげ様で目標額に達し、けいこ場改造とエアコン設置が終わりました。 上演中、暑いとの声が寄せられていましたので、今後快適な空間になると思います。
皆様のあたたかなご協力、本当にありがとうございました。
もう一つの報告は、今回の児童劇をけいこ場にて上演する事です。 これまで児童劇は主に七生公会堂で上演してきました。 広い空間で表現したい、一度に多くの方に観ていただきたいとの思いからです。
毎年、抽選にて予約してきたのですが、今回は6月も7月も抽選に外れてしまい、残念ながら使うことができませんでした。 そこで、トイレが二か所しかない事や、公共施設と立地条件が違うので集客がどうなるかなど心配ですが、けいこ場での上演に踏み切る事にしました。
新けいこ場を建設した時から、子どもたちの目の前で演じる事ができたら楽しいだろうと思っていましたので、思わぬ形で実現する事になりました。 結果、劇場費が不要なので、子どもの入場料を1000円から800円にする事が可能となりました。
けいこ場での児童劇公演の第一作として選んだのが「花のき村」です。 初演は1988年(39回公演)で、実に31年目の再演となります。
上演時間が1時間と短く(休憩不要)、「人が人を信じる尊さ」が、民話風のユーモアで描かれており、現代にひびく物語です。
「花のき村」「おじいさんのランプ」「百姓の足 坊さんの足」「牛をつないだ椿の木」など、南吉の作品の中で民話的メルヘンと分類される作品は、南吉が喉頭結核の為に29才の若さで死去する(1943年3月22日)前、1942年4月から5月に一気に書かれています。 民話的メルヘンを書いた1942年は世界大戦の渦中、戦争が色濃くなった世相に影響されていると思います。
南吉の青春はまさに戦争の時代でした。 南吉が長い病気と戦争の重圧に苦しみながら求めたのは、人間性の回帰だったのではないかと思います。
「龍の子太郎」「太陽の子」を観て入団を希望した4人を含め、小学1年生から中学1年生までの9人の子どもたちと、劇団員8人。 歌や踊りもあり、けいこやレッスに日夜励んでいます。
けいこ場ならではの楽しい児童劇となる様に、装置や客席などにも工夫を凝らしています。
心温まる花のき村の世界に是非、足を運んで下さい。
皆さまのご来場を心からお待ちしております。