私の名前は山田よし子。まさか自ら命を絶つ事になろうとは思いもしませんでした。そう、私はもうこの世にはいないのです。
私はある地方都市の大きな工場で働かせて頂いていました。お給料は高くはなかったけれど、毎日お勤めしてそれなりのお給料を頂けていたのです。ところが、ある日会社から解雇されてしまいました。自分としては何も悪い事をした訳ではなかったと思うのですが、雇用者にとっては少々都合の悪い存在だったようです。
突然、職場もお給料もなくなってしまった時の心の動揺をお分かりになるでしょうか。希望に輝く生涯が待っていると思っていたのに、従業員たちのために組合から会社に暑中手当の要求をしたというだけで、何の保障もないまま首になってほっぽり出された時の苦悩をお分かりになる方は少ないでしょう。特にお金に苦労をなさった事のない方、お金を稼ぐのではなくお金を使う事ばかりに熱心なご婦人などには全くお分かりにならないでしょう。
秋吉社長、私の事を覚えてくださっていますか? まあ、何百人も働く工場の一女工の事など覚えていらっしゃらないかも知れませんが、その日を境に私の生涯は別のものになっていってしまったのです。別に恨み言を申し上げているわけではありません。けれども、社長には知って欲しいのです。ご自身が正しいと思われている事が必ずしも多くの人々の心の声と同じ響きではないという事を。
私が味わったそれからの日々の事は、一言では申し上げられません。希望に輝くはずだった生涯はたった24年にして幕を閉じてしまいました。どんな事が起こったのだろうかとお思いになるでしょうか。そう、自分でも予想もしない様々な事が私の身に降りかかってきました。
それらのお話は私の口から語るよりは、どうぞこの劇をご覧頂ければと思います。死人に口なしと申しますから・・・。
若く貧しい女性の死をめぐって
「人間は、たった一人では生きてゆけません。誰でもが、社会の一員なのです。われわれはお互いに扶(たす)け合って生きているのです。もしこのことが、どうしても分からないんならば、わたしははっきり申し上げときますが、あなた方は、火と怒りと血でもって、思い知らされる時が来るでしょう」
長い引用になってしまいましたが、来訪者である警官が去り際に残す台詞です。
この言葉に作者が伝えたかった事の全てが語られており、それを表現する為に、この作品は創られていると言っても過言ではないと思います。
原作者のプリーストリー(1894-1984)は、イギリスでジャーナリスト・小説家・劇作家として幅広く活躍。1946年に「警察官来る」として初演されたのですが、舞台は1912年の春、第一次世界大戦前夜、階級格差や社会的ジェンダーを背景に描かれています。原作の解説には「二度の大戦が与えてくれたこの機会をとらえて、よりよい社会をつくる様に励ましているのである」と、記されています。その作品を内村直也(1909-1989)が、日本の状況に当てはめて翻案。1951年に俳優座、千田是也の演出にて初演されました。秋吉家の主人(工場の社長で公安委員)、妻、姉、息子と、姉の婚約者が、晩餐をしている夜。突如来訪した警官と名のる男が、女性の自殺をめぐって、一人一人に問いかけていきます。推理小説を思わせる、巧みなストーリーと構成で展開された鋭い人間ドラマです。
「今だけ、金だけ、自分だけ」。お聞きになった方は多いと思いますが、最近の世相を表すのに「3だけ主義が、蔓延する社会」と言われています。
「将来のことは考えず、目先のことだけしか見ない」「全てを金銭面だけからとらえるという拝金主義的な生き方」「他人や社会のことには目もくれない、自分ファースト的な生き方」を指します。さらに、さまざまな社会的・個人的な差別が蔓延しています。
こんな時代は、どこへ向かおうとしているのでしょうか。冒頭にあげた、警鐘ともとれる警官の言葉に問われる現状があるのではないでしょうか。
私は「夜の来訪者」を通じて、現代を照射できる作品となる様に取組んでいます。
最後になりましたが、今回の公演では大人の入場料を300円増額させて頂きました(学生は変更なし)。
出演者が少ないので観客目標数が低下し、予算が成り立たなかった為です。
どうか、ご理解・ご協力下さい。
今回は新人のメンバーはいませんが、継続している劇団員が増えてきました。
そのメンバーが、膨大な量の台詞による会話、自分たちとは違う生活や人間性の表現に四苦八苦、試行錯誤(私も)、しながら日々、創造を高めています。
「太陽の子」公演で集まったカンパで座席用の低反発クッションを購入する事ができ観劇環境も改善できました。
みなさまのご来訪を心からお待ちしております。