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今月のクローズアップ
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[2006年09月]
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広岡直樹さん

■コミュニケーションとしての演劇

皆さんはどうやって自分の気持ちを相手に伝えているだろうか?

もし、自分の気持ちを純度100%のまま何の躊躇もなく相手に伝えられる手段が始めから人間に備わっていたとしたら、演劇も映画も歌も絵も小説もマンガも今あるものと同じ状態で存在していただろうか。
おそらく、出来事をただ追っていくだけのような淡々としたものになっていたのではないだろうか。

人と人とが普段、コミュニケーションを行うために用いる手段としては、やはり会話が基本だ。
だから会話がはずんでいる時は、大抵他人からよく思われ物事もうまく進んでいる場合が多いように思える。
では、会話によるコミュニケーションがうまく出来ない場合はどうなるのか?
誰にでも経験があると思う。
なかなか自分自身を表現出来なかったり、誤解されたり、
伝えたい人に伝えたいことが伝えられなかったりといったことが。

会話の善し悪しは、相手の人間性を把握する上でどれくらいのウェイトを占めているのか?
人間は何によってその人の人間性を相手に伝えることが出来るのか?

自分が劇団に入った動機を改めて考えてみたとき、こういった疑問に対する答えが、創作活動に加わることによって少しでも見えてくるかもしれないといった
期待感というものを何となく感じていたのではないかと思う。

おそらく人間というのは、普段の生活の中で行っているコミュニケーションに対して慢性的に飢餓感を感じている生き物なのではないだろうか?
だからこそ、電話・メール・インターネットの掲示板・Blog・・・と様々な手段を開発しては内面を出来るだけ伝え易くする為の最適なコミュニケーション手段というものを模索し続けているのではないだろうか?

この前テレビで、記憶を他人に移植するという研究が放送されていた。
ネズミくらいであれば記憶を半導体チップの中に収めることが可能な段階にきているという。
そう遠くない将来、記憶にとどまらず伝えたい感情や想いまでもがデータ化されファイルとして扱われるような日が来るのかもしれない。
それを使って感情や想いををありのまま伝えたい相手に伝えることが出来る時がきたとしたら自分はそれを望むのだろうか?

自分は劇団活動を通してまず自分自身のために、コミュニケーションの手段は今の自分が把握しているよりもっと多くあることを自分自身の中で証明したい。

その後で、わずかなコミュニケーション手段の中で自分を表現出来ずに悩んで自分を見失いかけている人がいたら、そのことを言ってあげることが出来ればいい。
そして、伝えたいものを伝えようとする為に努力すること、それ自体が新たな価値となり得ることも伝えられたらと思う。