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今月のクローズアップ
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[2007年01月]
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さかきばらかずこさん

あの頃のこと、それから、いま

第76回公演「ら抜きの殺意」は、現けいこ場での最後の公演でした。9月には解体し、新けいこ場の建設がはじまります。「けいこ場を持つ」というのは、劇団発足当時からの夢でした。

劇団は、1973年5月に日野市の中央公民館で、若者を中心にして発足しました。第一回公演は三好十郎の「獅子」。ほとんどの人は芝居の経験がありませんでした。また、チケットを売ることもはじめて、駅頭でチラシを撒いたり、みんなで近くの住宅を一軒一軒回って券を普及したりしました。ともかくがむしゃらに情熱で乗り切ったといった感じでした。稽古は、公共施設を転々とし、事務所は劇団員のアパートの一室、装置は、そのアパートの前の庭や道路で製作、近所の子どもたちがもの珍しげに見にきたりしたものでした。稽古が終わるとみんなアパートの一室に集まり、芝居のこと、劇団の将来のこと、「けいこ場を持つ」という夢などを語り合ったものです。

それからもう三十数年、いろいろあったけどあっという間。劇団員が数人になってしまい、借りていたプレハブの事務所で真冬の冷たい隙間風にさらされながら、「大丈夫、芝居は三人いればできる」と慰めと強がりを言いながら過ごした日もありました。そして、「継続は、それも一つの才能」と自負と思い込みとオプティミズムで、今日まできました。この間たくさんの人が仲間に入り、去っていきました。劇団の歴史を振り返る時、その一人ひとりが、一字、一句と劇団の歴史のページを重ねてきているのをしみじみと感じています。

劇団は本当にたくさんの人たちのお力添えで成長してきました。当時まだ市民会館などなく学校の体育館で公演をしていたころ、公共施設について考える会を持ったり、学校開放について市と話し合いをしたり、と挙げればいくつもあります。故森田喜美男さんは、創立から10年の間、自宅の敷地を道具置き場として無償で貸してくださいました。私たちは夜遅くまでそこで道具作りをし、どれほど助けられたことでしょう。

今のけいこ場は1988年に、みなさまのご支援を得て建てることができました。1996年には、劇団の後援会である<劇団「ひの」応援団さくら組み>ができ、昨年は10周年を迎えました。今度のけいこ場建替えにあたっては、「新けいこ場建設協力会」をたちあげ、資金カンパを中心に支援していただいています。劇団「ひの」は、本当に幸せな集団だと感謝の気持ちでいっぱいです。

「日野にルネッサンスを!」これが、創立以来の劇団のスローガンです。「人が人として生きる」文化芸術の運動をめざして。当たり前のことのようですが、現実は、ワーキングプア、いじめ、自殺…生きることそのものが深刻な事態となっています。いま、「日野にルネッサンスを!」の言葉の生命を感じ、この言葉のもつ意味をしっかり受けとめていきたいと思っています。

新けいこ場は、来年の4月に完成の予定です。20年近く使った現けいこ場は、「けいこ場を持つ」という夢の体現、思い入れいっぱい。あの壁のあの傷はあの時の…などなどエピソードもいっぱいあるけれど、新けいこ場の完成で、さらに蕾をふくらませ、花咲かせたいと今も夢見るかつての乙女のわたしです。ちなみに『ケセラ・セラ』が私の「座右の銘」です。

次回、第77回公演は「オリバー・ツイスト」です。お楽しみに。