TOPへ 
今月のクローズアップ
前へ
[2007年03月]
次へ

榎本光雄さん

〜 劇団「ひの」と出遇って 〜

私が小学校時代の学芸会での出来事。発表の数日前より風邪による学級閉鎖が相次ぎそれぞれ自分たちの教室での発表となった。何かそれが悔しく、大きな講堂で出来ないことのもどかしさを感じ、隠れ目立ちたがり屋の自分がそこには居て、人前でもっと演じたい気持ちが、それからずっとフツフツと湧いていたように思う。

私が劇団「ひの」と出遇ったのは、30年も前の劇団創立から4年後のことだ。職場の先輩が『日野の多摩平に劇団があってこのあいだ「あっ、えっ、いっ」って練習やってたよ!』という、何気ない一言で知ったのが始まりでした。

当時の思い出に、劇団に係わるものはみんなが経験した『平台運び』がある。公演場所が小学校の体育館や、社会教育センターなどで公演の度ごとにトラックで移動して平台を担いで運び入れるのである。男も女も関係なく、蟻の行列みたいに繰り返し搬入作業が続く。担ぎ方によっては、平台の影に体が隠れてしまい、横から見ると平台が独りでに動いているように見え、おかしく笑い合ったこともありました。体育館の出入口付近では平台の重さと疲れから団員の顔からは笑顔が消え、まるで強制労働扱い(言い過ぎ?)でした。そうして舞台となる壇上の床の上に平台を敷いていく。時には観客に観やすくするために舞台自体を傾斜に造ることや、客席側へ舞台を拡張すること、等々。(いや、ほんと平台の数は半端じゃなかった)今ではそういった事も懐かしい記憶として残る。他にもまだまだ楽しかった想い出はいろいろです。

観客の皆さんにお金を払って観ていただくことが怖い時期がありました。でもたとえ一人でも「感動したよ」「もう一度観たい」等と公演後のアンケートや直に話を聞く事で、やはりやって良かった、又演じてみたいと感じる。

これから新しいけいこ場建設へと、益々のステップアップを図る劇団「ひの」。現在進行形の劇団「ひの」に於いてその歴史を30年以上存続し、積み上げているメンバー。好きなだけでは、成しえない熱い情熱がそこにはある。私は、数年に1度の係わりではありますが、その場に身を置きいろんな人と出会い刺激を受け活性化していく。
この劇団「ひの」は私の心の財産です。

次回、第77回公演は「オリバー・ツイスト」です。お楽しみに。