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今月のクローズアップ
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[2010年10月]
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志田 淳さん

 みなさん、こんにちは。
  今回、クローズアップにて紹介頂けることになった志田淳と申します。

2009年の春に劇団ひのに入団、今年10月で1年半が経ちました。

これまでに劇団の公演には「太陽の子」のお父さん役、「カモメに飛ぶことを教えた猫」の詩人役で出演したことがあり、次回公演「新羅生門」では岡元信也役で出演することが決まっています。
まだまだ新米の役者ですがこれから宜しくお願いします!…

で、終わってしまうと味気ないので(文章書くのが面倒なのでそれでも良いんだけど)、なぜ役者をやることになったのかをちょっとお話します。
その前に、実は私はランナーなんです。実際に実業団に所属して走っていた職業的マラソンランナーだったこともありますが、試合に勝つことや自己記録の更新に挑戦していくその心意気を含めてランナーそのものなんですね(自分で勝手にそう思ってます)。

劇団ひのに入団するまで、役者をやることには全く興味なく、従妹の舞台(宝塚歌劇団の雪組だったっけ?)や、友人が出ている舞台を観に行ったりするくらいでした。まさかあの、客席と舞台の境界線を超えることになるとは夢にも思っていませんでした。超えてしまったきっかけは、会社の友人が劇団ひのの舞台に出演しており、それを観に行ったときに、髪の毛がもじゃもじゃの人(実は演出の佐藤さんでした)から「次回公演は沖縄の話なんだけど、あなたは沖縄の人みたいな顔ですね。ちょっとやってみませんか?」と話しかけられたこと。じゃあやってみるかと決めたら、とんとん拍子でここまで来てしまいました。
未だに自分が舞台に立っていることを思うと不思議な感じがします。
オレってランナーだよな???

ちなみにランナーとしての主な戦績です。

箱根駅伝3回出場(第71、72、73回大会でそれぞれ10区、2区、7区を出走)
  関東インターカレッジ ハーフマラソン 2位
世界ハーフマラソン(メキシコベラクルス大会)日本代表
東日本実業団対抗選手権 20000m 3回出場(優勝2回、2位1回)

残念ながらオリンピックには出場できませんでしたが、現役時代に1度、日本代表で日の丸を付けて走ったことがあります。
また引退後、視覚障がいのランナーの伴走者として、IPC(国際パラリンピック協会)世界選手権オランダアッセン大会に出場して金メダル獲得、北京パラリンピックにまた伴走者として出場した経験があります。

ランナーとしてそれなりに成果を出してきたと(自分では)思っていますが、これは身体的な素質があったからではなく、走ることへの思いや取り組み方が大きく影響したのだと思ってます。
私より凄い走りをするランナーは沢山いましたが、故障が多かったり、試合で力を発揮できなかったり、自分から諦めて投げ出してしまったりする人を数多く見てきました。ランナーとしての境界線(舞台に上がるか客席で観てるかの違い?)があるとしたら、粘るか、諦めるかのところですかね。
しつこく最後まで粘ったものが最終的に舞台に上がれる(成果を出せる)みたいです。

役者としては、自分はまだまだ大根だと思ってます。
(自分が出演した舞台のビデオとか、未だに恥ずかしくて観られません)
舞台には上がりましたが、役者としての境界線は?、その存在すらまだ分かりません。

これからも日々精進していきます。
せめて境界線は見たいなあ。