「ふーちゃん」のひとりごと
北谷 多嬉(ふーちゃん役)
これは後で知ったことなのですが、日本が戦争をしていた時、沖縄では日本一ひどい戦争があったという事です。その時の苦しみを今でも胸に抱えて暮らしている人がたくさんいる事を私は知りました。私はそれまで、とってもキレイな海や空につつまれた沖縄がなんてステキなところなのかという話しか聞かされてきませんでした。しかし、沖縄の事をもっと勉強しようと思って、担任の梶山先生にもいろいろ教えてもらううちに、いかに自分が無知だったかを知りました。沖縄から来た人たちは皆、人に知られたくないような事を抱えていましたが、中でもろくさんの話やキヨシ君の話はあまりに辛くて、「肝苦りさ(ちむぐりさ)」という沖縄の方言でなければ言い表せないような話でした。
そうそう、私はそのキヨシ君と仲良くなりました。キヨシ君は2歳くらい年上です。仲良くなったといっても、色々うまくいっていないキヨシ君を励ますために、ちょっとお尻を蹴っ飛ばしたりするような仲なんですけど(笑)。そんなキヨシ君が沖縄亭にきて話をしているうちに、私はちょっとしたはずみで足を捻ってしまって救急車で運ばれるはめに。その時もお父さんは、サイレンの音を聞いて発作のように怖がっていたのでした。
私たちは何か悪い事をしたのでしょうか? 何も悪いことをしていないのに、なぜか酷い目にあってしまう。私はそんな事に負けたくはないのだけれど、自分ではどうにもできない事って起こってしまうんですね。
負けずに生きていたいです。でも、私が一番大好きな人に起こった事だけは、どうにも受け入れられない出来事になってしまいました・・・。
そして、今はこんな言葉が私の気持ちを支えてくれているのです。
かなしいことがあったら ひとをうらまないこと かなしいことがあったら しばらくひとりぼっちになること かなしいことがあったら ひっそり考えること |
命輝け 沖縄を知り 未来へ繋ぐ
朝日新聞に集いの事が掲載されたので、他市から一般6名の方も参加されました。沖縄への関心の高さを実感しました。
南風(ぱいかじ)さんによる唄と演奏で賑い、一気に沖縄の世界へ。
その後、劇団「ひの」創立者の池上さんから、「沖縄のこころ」と向き合う、と題して琉球処分から今日まで、差別の観点を中心に据えた講演をして頂きました。
沖縄の問題は主権者である私たちに問われていることも学びました。
その後、自己紹介をしながら、参加された方々からメッセージを頂きました。
けいこ場を持てた喜びと、演劇文化の灯を絶やすことなく続けていく励みとなりました。
その記念の第二弾として、「太陽の子」の再演を決めました。
2009年に新けいこ場での2回目の公演として初演しています。全ステージ満席、立ち見で超満員のステージもありました。
追加公演をするか検討した程です。灰谷作品であること、「太陽の子」の魅力、新けいこ場での公演である関心の高さなどが、あったからだと思います。
それと当時(今でも途絶えませんが)、沖縄の事件があり、関心が高かった事もありました。
なかなか大掛かりな芝居ですが、今日的な意義が高いとの思いから上演に挑むことにしました。
秋の夕べで池上さんは、今年6月23日「慰霊の日(沖縄全戦没者追悼式)で中学校3年の相良倫子(さがらりんこ)さんが読んだ自作の平和の詩「いきる」を引用された後、「灰谷健次郎さんは、沖縄の歴史を背負って書かれたに違いない。
劇団「ひの」が、この時代に「てだのふあ」をやる意味と重さ、そして同時に私たちが「やあー大変だったんだなーではなくて、この中学生の言うように今こそ、この瞬間こそ未来なんだ」という確認を共同のものにする事を願わずにはいられない」と、講演を結ばれました。
私も、同じ思い……そういうドラマの創造を目指しています。
この原稿を書いている今日(11/1)、辺野古の工事が再開されました。
国土交通相は10/30、辺野古の米軍新基地建設をめぐり、埋め立て承認撤回の執行を一時的に停止することを決めたからです。
民意無視、めちゃくちゃ・むちゃくちゃな暴挙です。
原作の中で何度も使われている言葉「ちむぐりさ」。
他人の事ではなく、自分の事の様に胸が痛むという意味です。
沖縄出身の20代の青年が「沖縄を知ることは日本の国をようする近道やよって」と語ります。
灰谷さんが生み出した、この言葉の意味と重みをしっかり受け止めなければなりません。小・中学生の子役9人と高校生から年配の方までの12人で演じます。
感動していただける様に、スタッフと手を携え全力で日夜、取組んでいます。
「てだのふあ・おきなわ亭」へのご来店を心からお待ちしています。