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劇団「ひの」 第106回公演

~2024年[冬] 劇団ひのけいこ場~

無言のまにまに




  • 12月 8日(日) 10時 16時
  • 12月13日(金) 19時
  • 12月14日(土) 13時 18時
  • 12月15日(日) 10時 16時
  • 忘れてはならない
    ―ひとりひとりの尊い人生―

    ♠よみがえる画学生たち
    「…昨夜、兵舎の窓にのぼった満月がことのほか白く輝いているように見えました。(略)あれは霜子が天に召されたことを知らせる満月だったのですね…。」
    これは、今回の作品に登場する戦没画学生の一人 中村萬平(蒙古の野戦病院で26才で死去)が、亡き妻に宛てた実存する手紙の一文です。 息子を産んで半月後に産後の肥立ちが悪くて他界したのでした。 今回、朗読サークル「ひの」の6人の方に、画学生が描いた絵の映像の背景で「声」を語って頂ける事になりましたが、その場面の一つです。 「80年後に、舞台で中村萬平さんの魂が生き返る事になるんですね」と、80代の男性の方がおっしゃいました。 その言葉は私の心に響き、無言館の存在、この作品に取組む意義を強く感じました。
    ♥死滅への道
    最初に調べたのは、戦争への道のりでした。 太平洋戦争で日本の戦況が悪化し兵力が不足していく中、軍国主義・国家総動員のもと、大学生の徴兵猶が停止されてしまい学徒出陣が実施されたのです。 最初は半年前の9月に卒業、翌年から1年前に「繰り上げ卒業」をさせられて、故郷の部隊に入隊。 短期間の訓練を受けて、激戦地へ送られたのです。その刃は大学で絵を学んでいた画学生にも例外なく向けられました。 それまで握っていた絵筆を、拳銃や機関銃に強制的に変えさせられてしまったのです。 しかも大学生は、戦闘で指揮する下士官や兵隊にさせられ、異国の地、中国・ニューギニア・サイパンなどで、戦死、病死、餓死で二度と帰らぬ人となったのです。 戦争がもたらす、許すまじき暴挙でした。命があったら、第一線で活躍される画家になられていたかもしれません。
    ♦戦没画学生たちがきざんだもの
    画学生たちの多くは、出征の間際まで絵を描き続けました。 それは、家族、恋人、友達、郷里や好きな場所の風景画などでした。 未完成の物が多いのですが、「絵を描きたい」思いや「愛情」にあふれていました。 9月15日に、劇団のメンバーで、長野県上田市にある「無言館」を訪れました。 木の扉を開けると、無数の画学生が書いた絵と、手紙などの展示品がありました。 絵の前に立つと、無言の絵の中から、彼らの熱情と呼びかける声を感じることができるのでした。
    ♣人生を描く
    この作品は、戦没画学生の思い、その家族など関わった人々の声、絵を集める啓一郎と豊治の二人(モデルは窪島誠一郎氏と野見山暁治氏)の生きざま、その啓一郎の家族との関係、それらが時空を超えて交錯する中でドラマが構成されています。 私は、戦没画学生を含めた、全ての人々の人生を描く事に重点を置き創造に取組んでいます。 若い人に観て欲しいので、学生を500円、30才以下を1000円とする低価格も設定しました。 是非、多くの方に声をかけて頂き、この芝居をご覧下さい。

    皆様のご来場を心からお待ちしております。